春は花粉だけではないが最後には花粉を嫌がっている

今日はなんかいい日だと景色を見て思った。

理由はない。春は花粉があるから好きではない。いや外に出たくないだけで春は好き。

空の青が深くて、日当たりが暖かくて、風が流れて、そういう、なんか良かったのだ。それを直感でいい日だと認識したという感じだろうか。

 

別に結局いい日だったのかというと普通である。

少し人と話せて、外を歩けて、春を感じれただけだった。贅沢。

ただ前を見れた。それがとても気分を良くしてくれたらしい。

 

道を歩くときよく斜め下を中心に視界を見る。真っ直ぐ見るとすれ違うときに人に見られているように感じて勝手にストレスを感じるというのが1つの理由。あとアスファルトに抗ってる植物や歩いてる虫とかを極力踏まないようにしたい。すごい細かいと落ちてる葉っぱとか花びらとかも踏みたくはないのだ。だから桜並木なんか歩けるとこがなさすぎてミッション・インポッシブルみたいになる。どうでもいいがヒヨドリってミッション・インポッシブルの冒頭の曲みたいな鳴き声をする時があるよね。ピッピッピッピピイー!ピイー!ピイー!ピイイイイイイイイイ!!

 

こういう理由があってあんまり前を見ない。

いや前は見てるが遠くを見てないんだ。そうでした。

先20mぐらいしかいつもまともに見ていないから世界が狭い。だが今日は本当にまっすぐ見て歩けたので、道が奥に狭まってるのが見れたのだ。道は真っ直ぐだが視野には角度があるため手前が大きく奥が小さく見える。つまりそこには「遠く」が存在しています。「遠く」を発見しました。やったね。

 

この前満開だった河津桜がもう葉っぱでぎっしりだった。

帰ったあとは目のしばしばとくしゃみが止まらなかった。